もしもデイサービスがリモートだったら? ~コロナ禍に想う
緊急事態宣言が出ていたころ、次男が通う放課後デイサービスでは、感染予防対策をしながら日中のサービス提供を続けてくださっていました。
わたし達夫婦は、休業にもリモートワークにもならない仕事で、発達年齢が幼児同様の次男を、ずっと家に置いておくわけにもいかないので、週に数日の利用とはいえ とても助かりました。
休校が延長され 少したった頃、事業所の方から
「デイサービスを利用できない日に、Zoomを使ってやり取りをしませんか?」
とご提案をいただきました。
デイサービスをリモートで??
今回は わが家の事情とニーズがご提案にマッチしなかったので、利用には至りませんでしたが、コロナ禍でなければ現れなかったかもしれない発想に驚くやら、感心するやら…
だってデイサービスって「行く」ところ、もっと言えば「家を出る」ことに大半の意義とニーズがあるんじゃないかと思っていたので。
子供にせよ、高齢者にせよ、“在宅”デイサービスって成立するのかしら?
75歳くらい(仮)になった ステイホーム中の自分が 、ふと頭をよぎりました…
9:20 PC立ち上げ、準備。
ウェブカメラは「シミ・しわ取りモード」に設定完了。目が乾くから目薬をさして…と。
9:30 デイサービス開始
職員さん、お仲間と朝の挨拶。よく聞こえないのでボリュームを上げる。
佐藤さん(仲良しのおばあちゃん)は接続不良?にてまだ登場しない。
9:40 体温・血圧測定
取り込まれたデータは、即 デイサービスに自動送信される。
「お薬飲みましたか?」と聞かれ、飲み忘れに気づいた。
血圧が高いのでベッドの中から参加するよう指示があり、横になる。
顔色がわからないので、「シミ・しわ取りモード」をOFFにするよう注意される。
10:00 体操
みんなバラバラで そろっていない。
職員さんが「こっちを見て、真似してください!」と画面の中で手を振る。「見えないよ」と、仲良し佐藤さん。音は聞こえているらしい。
10:30 休憩。
品のいいマダム・鈴木さんは、高そうなカップでお紅茶を飲んでいらっしゃる。わたしは出がらしのお茶で一服(セルフ)。
あ、仲良し佐藤さんからLINEだ。
「画面が真っ暗。どうしたらいいの?」
「うーん、わたしもわからない。息子さん帰ったらみてもらったら?」
“ごめんね!”のスタンプを送る。
11:00 お風呂
マダム鈴木さんは、お手伝いさんがこれから入れてくれるらしい。わたしは…今日はあきらめて、タオルで拭くとするか。
12:00 昼食
デイサービスから宅配弁当が届いた。
画面の中でじっと見つめていた職員さんに、「もっとよく噛んでください!」と注意をされる。だって、冷たくて硬いのよ。…噛めない。
13:00 フリータイム
憧れの男性利用者・山田さん(王子)と二人きりのトークタイムゲット。
「シミ・しわ取りモード」ON! 昔、スポーツマンだったらしく、膝の痛みによく効く湿布薬を 今度会った時にくれるって。楽しみ。
14:00 レクリエーション
将棋・マージャンなどを 静かに楽しむおじいちゃんたちもいるけど、わたしは王子・山田さん目当ての他の女性陣といっしょに、オンライン風船バレーを楽しむ。
黄色い声が飛び交う中、王子・山田さんが はりきりすぎて腰を痛める。お一人で、大丈夫?病院に行けるかしら…
途中で孫にコントローラーを奪われる。
15:00 昼寝
体力自慢のおじいちゃん・田中さんのイビキがうるさい。あんまりすごいので、
「田中さーん!大丈夫ですかー!!」
職員さんによる安否確認が行われる。返事はない。
「田中さーん!」「田中さーん!」
みんなで呼びかけると目が覚めた。…ただ寝ていただけみたい。よかった。
びっくりして、胸が少し苦しくなる。ちょっと休もう。
16:00 終わりの会・解散
あれ?どうやって終わるの?…画面の中の職員さんは任務終了、もういない。
あ!仲良し佐藤さん出てきた! 残念、遅すぎたね。利用料、請求されるのかな…?
コロナ禍に想う、なんて大きなことを言っておきながら 全編 妄想になってしまいましたが…
今回の仮体験ではお風呂は断念し、硬いごはんは無理やり飲み込みました。途中からは孫が“なりすまし”でレクに参加。
もしも体調に異常をきたしたら、職員さんが救急通報をしてくださるんでしょうか。画面越しでも異常を見逃さずに対処してもらえるか、少々不安です。
そもそも、高齢者や認知症・知的しょうがい者の方がひとりで機器を扱うのは難しいかもしれません。
自由な人付き合いが日頃から難しい分、デイサービスでの交流は貴重で、人のぬくもりも恋しいところです。
リモート・デイ、課題はまだまだ多そうかな(使ってないのに勝手に結論)…
世界中の多くの人が“ステイホーム”や“自粛”を余儀なくされたこの生活、障がいや病気を抱えている人たちの生活に、どこか似ているような気がずっとしていました。
何の落ち度がなくても 生活の制限を受け、先の見えない不安、孤独、息苦しさ、苛立ちなどを感じながら生きていた人は、これまでだってきっとたくさんいたと思うのです。
わが家の次男にしても、誰が悪意で意図したものでもないですが、成長するにつれ “フツウの子”との“ソーシャルディスタンス”は広がるばかり。学校で大きな声で歌うことも、話すことも、友達と触れ合って遊ぶことも、物心ついた時には既に できずにいました。やんちゃ盛りであるはずの小さな男の子が どんな思いでその境遇を受け入れ、それを当たり前の日常にしてきたのか…抗う知恵も力も持ち合わせていないので、社会的な支援がなければ、“ただ受け入れる”ことを積み重ねてくることしかできなかったのではという気もしています。
人や社会とのつながりが経たれるという経験が、 世界レベルで共有された今だからこそ、そんな状況でも生活を彩るためのアイデアが これからもっとたくさん生まれていくのではないかと、密かに期待しています。
“リモート”デイも きっとその一つです。
世界中の小さな生活の場から生まれるアイデアが、回りまわって いつか次男と75歳のわたしの暮らしの中にも届いたら嬉しいな…いや、届いてほしい!
どの人にも 、届きますように…
…そんなことを、このコロナ禍に想ったのでした。