天使が住む家

障害児と暮らした10年、そしてこれから。

ブランコ …揺れる心

「ブランコ」

 

f:id:nazunago:20200913155034j:plain

 

泣いたり

笑ったり

 

焦ってみたり

止まってみたり

 

喜びに包まれる時もあれば

 

絶望の崖っぷちに立つこともある

 

あっちに行ったり

こっちに行ったり

 

ゆれて

ゆれて

 

止まらない

 

 

***************

 

 

 

ちょっと遅いだけじゃないかと

大丈夫な気がしてみたり

 

この子とわたしの人生には

もう何の未来もないと悲観したり

 

周りの子を見れば焦って

“訓練”で、できるようにしようともしたし

 

この子はこの子のペースで、

とおおらかに接することもありました。

 

さっき愛しいと思って微笑みかけたのに

数分後には涙が出てくる…

 

感情のブランコは

小刻みに揺れたり

時に 大揺れだったり

止まることなく動いていました。

 

お兄ちゃんのキョウの時のように

育児サークルや

公園に出かけることもなく、

 

ベビーカーに乗せて散歩したり

通院する以外は

 

揺れるブランコの上で

一日を過ごしていました。

 

どうしてこんなにブランコが揺れるのか

 

どうして足を踏ん張って

揺れを止められないのか

 

自分でも滑稽なくらいでした。

 

 

 

 

 

 

母業 …これでいいのだ?

「母業」

 

f:id:nazunago:20200913154539j:plain

 

ごちゃごちゃ

いろいろあるけれど

つまり

 

今日

この子が笑ってくれたら

 

合格

 

それでいい

 

自分も笑えれば

 

満点だ

 

 

***************

 

 

ダイの子育ては

始まりこそ“フツウ”だったものの、

 

それを味わったのも数か月。

あとは不安と心配だけの毎日でした。

 

                          その頃のことはこちら↓

nazunago.hatenablog.com

 

 

オムツが濡れたら替えるとか

 

お腹がすいたらお乳をあげるとか

 

原因と対処法がわかれば

できることもありますが

 

ダイの問題については

その両方がわからないでいました。

 

今 どういう状況なのか、

これからどうなっていくのか、

それすらもわからなくて

 

誰も教えてくれなくて…

 

母親として 何ができるでもない

そんな時期に

書いたものだったと思います。

 

開き直りだったのかな…?

それとも

このころ すでに悟っていた…?

  

子育てが折り返しを過ぎようかという今も

自分のお母さん像は

全く定まっていないのですが…

 

今日もダイは笑ってくれるので

 

よしとしたいと思います。

 

 

 

 

 

想い …見えないけど消えないもの

「想い」

 

f:id:nazunago:20200913154123j:plain

 

この子のことを

 

わたしたち家族のことを

 

ふと思い出し

 

案じてくれる人がいる

祈ってくれる人がいる

 

ありがとう

 

この子に会いに来てください

 

幸せな顔を しているから

 

 

***************

 

 

まだ 療育にも保育園にも通っていなかった

このころ

 

ダイの発達のことを知る人は

家族と

わずかな知人・友人だけでした。

 

「心配ない」という人や

「心配だね」という人

 

アドバイスをくれる人や

何も言わずにいてくれる人

 

気付かない人もいれば

すぐに気付く人もいて

 

助かることもあれば

傷つくこともありました。

 

だけど、ふと 思い出してもらえたり

気にかけてもらったりすることは

ありがたいことだなあと

思います。

 

亡くなった

ダイのひいおばあちゃんも、

たぶん

ことの深刻さはわかっていなかったけど

 

「昔はいろんな子がおったよ」

というようなことを

誰に聞かせるでもなく つぶやきながら

 

笑わないこの子を

昔風?の方法であやしてくれたことを

思い出します。

 

子育ての責任者は親で

 

あとの人は

「通りすがりの人」なんだろうけど

 

その「通りすがりの人」に

学んだり、助けられて

子供も親も育っていくのかもなあ…

 

あの頃 どうして

「想い」という題をつけたのか

忘れてしまったけれど

 

今はそんなことを

想ったりしています。

 

 

 

 

 

「名もなき家事」の現場に付箋を貼ってみた

f:id:nazunago:20200908091047j:plain

時は ある日曜の夜。

現場は 残暑厳しい 我が家です。

わたしはイライラしていました。

 

あと少しで「半沢直樹」が始まるというのに、まだやることがたくさん残っている。

もっと前にやったらよかったかもしれない。

でも これって、そもそも わたしの仕事?

 

夫:「なあ、あの書類どこだっけ?」

私:「どこにあると思うの?」

夫:「あそこの引き出しか?」

私:「わかってるなら、自分で探したら?」

夫:「日曜の夜に、なにイライラしてるんだよ」

私:「なんでだと思う?」

夫:「知るか」

 

イライラの理由がわからないのか?わかろうとしないのか?

 

お風呂に入っても、イライラも モヤモヤも一向に収まらなかったので、正々堂々主張してみることにしました。

 

まず家族を集めます。

 

「みんな、もうちょっと自分のこと自分でやろう」

 

「まずダイ。学校の時間割、いつまでママにやらせるの?自分で準備する!」注:小学生。知的障害あり、実際少々難しい。

 

「次、キョウ。水筒 いつまで置いとくの?自分で洗う約束でしょ!」注:中学生、部活男子。半日前に練習を終え帰宅。

 

「最後、パパ。お経をあげたり、フラフラとでかける時間があるなら、もっと家庭のことやる!」注:サラリーマン。般若心経を唱えるというナゾの趣味…。歩行禅というネーミングで、この日もどこへともなく出かけていく。

 

ビシッと決まったかに思えましたが、いつもなら言い返さない夫が 想定外に応戦してきました。

結果、子供の前で 結婚以来初の大喧嘩を繰り広げるという、最悪の展開に。

長男キョウは下を向いて石になり、次男ダイはトイレにこもっていましたが、ついに泣き始めました。

 

引き下がりたくはありませんでしたが、子供の手前、停戦するしかありません。

 

子供たちを寝かせ、半沢直樹を見終わると、どうにか抑えた怒りの感情が 再びフツフツと湧き上がってきました。

 

倍返しせず終わるのか、わたし!

それでいいのか!

「それならもっと稼いで来い」という最低最悪の発言を許すのか!

パート主婦のプライドは!

注:障がい児と健常児を育てるパート主婦のわたし。妄想癖あり。感化されやすい性質。

 

作戦変更。

子供の前でこれ以上火に油を注ぐようなことはせず、スマートなやり方で戦わねば…。

 

f:id:nazunago:20200901121145j:plain

そこでわたしがとった方法は、細々とした「名もなき家事」に“しるし”をつけること。

思いついた“現場”すべてに付箋を貼っていきました。

 

「ハンドソープなくなりそうです。誰が買ってきますか?」ハンドソープにペタッ。

「換気扇のスイッチ、誰が消しますか?」お風呂の換気扇のスイッチにペタッ。

「ポケットティッシュ、誰が片付けますか?」置きっぱなしのティッシュにペタッ。

「電球、いつ替えましょうか?」前から頼んでいた、電灯の下にペタッ。

「靴、誰が磨きますか?」玄関にペタッ。

「ダイの病院、誰が連れていきますか?」カレンダーにペタッ。

 

出てくる、出てくる、止まらない…。

家族が寝静まった夜、ひとり家中に付箋を貼りまくるわたし。

少々ホラーですが…

見える化」してみると、これだけのことをやっているんだ…と自分でも驚くと同時に、「妻(母)はこれだけやってます!」と主張できたことで少しスッキリしました。

 

さて、翌朝。起きてきた夫は、悔しそうなうめき声をあげながら、 黙って全付箋をめくり ゴミ箱に投げ捨てていました。

 

どうだ、「なんも言えねー」だろ。

主婦をなめるなよ!(心の声です)

f:id:nazunago:20200901120410j:plain

重苦しい朝食を終えたところで、

私:「コーヒー淹れようか?」注:いつもはそんなことしない

 

しばし間があって、

夫:「…もらおうか」

 

これにて降参と受け止め、コーヒーにチョコレートをつけてお出ししました。

 

結局その後も「名もなき家事」のほとんどは、わたしがしています。

それでも、まあいいか…と思えるのは、家族がほんの少しだけ意識してくれるようになったと感じるからです。

 

とりあえず、長男キョウのポケットティッシュは 定位置に置かれるようになり、水筒も洗ってあります。

お風呂の換気扇は おおむね消してあり、歩行禅という名の放浪も減りました。

 

そんな意識も日々また薄れていくでしょうが、その時はまた…

付箋を貼りまくってやろうと思います。

 

 わたしは“天使”の母ではありますが、それは やや特別な任務を拝命したのであって、元々の人間のつくりとしては さほど寛大にできていないのです。

それぐらいの反逆はさせてほしい。

 

余談ですが、次男のダイは ショック療法が効いたのか、翌日から時間割合わせが自分でできるようになりました…。

なーんだ、できたのね。

 

名もなき家事、いくつか減りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

道 …独りだと感じても

「道」

 

f:id:nazunago:20200905212433j:plain

 

たくさんのお母さんが

涙とともに

通ってきた道

 

私が歩いています

 

ゆっくりだけど

 

次のお母さんのために

 

一歩一歩

足あとを残したいと思います

 

 

***************

 

 

苦しいときに

いつも思うことにしています。

「何もわたしが世界で1番はじめに

この道を歩いているわけじゃない」と。

 

障がい児を授かり

育てていくということの途中には,

 

やはり苦難も悲しみも

たくさんあると思います。

 

こんな思いをするのは

世界中に私だけなのでは?

と思ったりする夜もありますが…

 

もちろん そんなわけはないのです。

 

必ず この道を

わたしより先に歩いたお母さんがいる。

 

今よりずっと

偏見や差別も大きかったであろう時代に

法律も制度も、

家族すら守ってくれなかった時代に

 

道なき道を歩いたお母さんたち…

 

その苦労に思いを馳せます。

 

時代も場所も離れた見知らぬお母さんたちが

草をかき分け

少しずつ踏み固めてきてくださった

その道の上に

ただ立たせてもらっている自分。

 

わたしの苦労や悲しみなど

間違いなく、世界で1番ではないわけです。

 

たしかにこの道は

大通りには遠く及ばない 細い道で

まだ砂利だらけ、

草もたくさん生えています。

 

昔に比べればずいぶんと

大通りの近くまで道が伸びたものの、

まだ合流はできず

 

側道を

必死で走っているようなものでしょうか。

 

だけど。

 

さあ、わたしも進まなくては。

 

この細い一本道は 先輩からの贈り物。

 

わたしも 少しでも踏みならして

次へと贈りたいです。

 

 あとに続くお母さんへ。

 

だいじょうぶ、道は繋がっていますよ。

 

 

 

 

知的障がい児を抱えるわが家の、小さな防災対策

f:id:nazunago:20200906203326j:plain

今朝は私たちが住む地域でも、朝から防災無線緊急地震速報の試験放送があり、我が家でも それに合わせてシェイクアウト訓練をしてみました。

 

次男のダイは“独特なあの音”を嫌がるかと思いましたが意外と大丈夫で、寝そべったままコロコロと回転(連続寝返り)し、机の下に避難完了。

腹ばいで頬杖をついたまま、 TVの仮面ライダーからは目を離さない…という余裕をみせていました。

 

でも実際の災害発生時には、そんなわけにはいきません。

障がいのある子を抱えていると、被災した場合の心配はやはり大きいです。

 

我が家のダイ(知的障害あり)の場合、数ある心配の中のひとつが「避難所で配られた飲食物が自分で食べられるか?」です。

ダイはまだペットボトルのフタを開けたり、パンの袋を破ったり、おにぎりのフィルムをはがしたり…そんなことができません。

周囲の見知らぬ人に話しかけることもできません。

 

周囲の方は、この大きさの子が自分で飲食ができないなんて 思わないでしょう。

 

ニュースなどで避難所の様子が知らされたりするたび、見た目には障がいがあるとはわかりにくい息子が、ひとり避難所でペットボトルとパンを持って、立ち尽くしている姿が目に浮かぶのです。

 

親と離れた場所で被災したら…。

もしこの子だけが 生き残ってしまったら…。

 

f:id:nazunago:20200906203419j:plain

今日は訓練の後、わが家に備蓄している非常用物資の確認を家族みんなで行うことにしました。

 

非常食の期限の確認、日用品・救急用品の確認をしていく中で、ダイに懐中電灯を渡してみました。

ヒモを首にかけて落とさないようにすること、電気がつかなくて暗かったら使うということを教え、 スイッチの入れ方・切り方を練習しました。

 

長男のキョウには期限が切れそうになった非常食をつくらせてみました。

火を使わず、混ぜるだけなのですが、やってみると ダイには当分無理だなあと感じることがいくつかありました。

・パッケージが開けられない。

・説明文が読めない

 (漢字がわからないし、理解も難しい)

・時間、数量がわからない

 (〇分待つ、水〇ccなど)

・箸が使えない

 (スプーンや補助箸が必要)

 

備えておいても、避難所の食事同様、ダイ一人では食べられないのだなあ…ということがよくわかりました。

 

結局、今日ダイができたことは「シェイクアウト」「懐中電灯の扱い」「非常食の試食」ぐらいだったのですが、それでも やらないよりはよかったと思います。

 

懐中電灯のスイッチを入れることも、ペットボトルのフタを開けることも、パンの袋を破ることも、「助けてください」と伝えることも…ダイにとっては“命を守る”ための大事な訓練です。

 

「何ができたら 生きのびることができる確率があがるのか?」という視点で ひとつずつ 、少しずつ、命を守るすべを教えていくしかありません。

 

 

眠れない夜に…

ご家族や大切な方がご無事でありますよう、お祈りしています。

 

 

 

デート …年に一度の二人旅

「デート」

 

f:id:nazunago:20200811210647j:plain

デートってね

好きな人と

二人でお出かけすることだよ

 

今日は

駄々っ子も

甘えん坊も

抱っこでも

おんぶでも

なんでもござれ

 

我慢ばかりの

小さなお兄ちゃんに

 

ありがとうと

ごめんねの

気持ちを込めて

 

 

***************

 

 

この頃は

家族みんながダイの成長を 心配していて

顔を合わせれば ダイの話ばかり。

 

お兄ちゃんのキョウは4才。

みんなの興味が弟にばかり集まる、

そんな空気を感じては

小さな心を痛めていました。

 

わかってはいても

日常の中では わたしも精いっぱいで

甘えてくるのが“重荷”になることも…

 

なので時々ダイを

じいちゃんばあちゃんに

預かってもらい

二人だけで出かける時間をつくりました。

 

図書館だったり

ファミレスだったり

ただのご近所ドライブだったり…

 

キョウは照れてしまって

あまり話さないこともありましたが

途端に甘えん坊の顔になって

嬉しそうでした。

 

年長さんになった頃からは

二人で一泊旅行にも行くようになり

 

年に一度だけ 朝も昼も夜も

母を独り占めできるこの旅は

今も続いています。 

 

大きくなっても

嬉しそうにしてくれる顔を見ていると、

この子には甘えられない瞬間が

これまで たくさんあったのだろうと

多少の罪悪感がわきますが

 

母も頑張ってきたのだと

胸を張って向き合えます。

 

口には出しませんが

それぞれを称え合うような

 

ご褒美の旅です。

 

今年はコロナであきらめましたが

 

「もういいよ」と断られるまでは

続けたいなと思っています。

 

そう遠くない日に

わたしが“連れて行ってもらう”日も

来るでしょう。

 

子育てって

長いようで、あっという間ですね。